着物はっ水加工の歴史⑦(パールトーン加工)
もしもキモノに心があったなら
皆様 こんにちは パールトーンタイムスリップ第七弾は1985年です。
1985年(昭和60年)
1985年秋。1000万反もの着物が生み出されているにも拘らずタンスの中に消えていく現実を詩にして紹介しました。
昭和60年当時にはパールトーンの活動内容を紹介した「パールトーンニュース」という紙面を配布しておりました。
当時の絹の白生地の生産は約1082万反。オイルショック前の昭和47年~48年は約3000万反の生産量があったというから、当時にしてピーク時の3分の1になってしまったことになります。それでも1000万反もの着物が年間に生まれているわけですが、いったいその着物たちはどこへいってしまったのか・・・。
以前と比べると着物姿を街で見かけることが少なくなり、買った着物がタンスの肥やしになりつつある現状を見て先代は次のような詩を作り、当時の考えを主張しています。
「もしもキモノに心があったなら」
もしも、キモノに心があったなら
白生地として、この世に生まれてきて
きれいな柄に染めあげられた時にとても喜んだでしょう。
そして、沢山の仲間の中から選び出されて問屋さんから小売屋さんへと、
仕入れられた時にもやっぱり喜んだでしょう。
小売屋さんでは、ショーウィンドーに飾られ
見る人誰もから「きれいだネ」と褒められた時は
ちょっと気恥ずかしいながらも決して悪い気はしていなかったでしょう。
そして、いよいよお客さんに気に入られ、
買ってもらいキモノに仕立て上げられた時には
「あア これでやっと着てもらえる、この世に生まれてきた甲斐があった」と
最高に喜んだことでしょう。
しかしこの世はそんなに甘くないのか、
何かおかしいのか、一向に袖も通されないまま、
畳う紙に包まれてタンスの中に仕舞われっぱなし。
もしも、キモノに、心があったなら
これまでの喜びは何処へやら、夜な夜な悲しみの涙を流すでしょう。
キモノが流した涙は、やがてシミやカビになって出てくるのです。
皆さん、そんなにキモノを悲しませないでください。
せっかく着ようと思って買ったキモノでしょう。
もっともっと着てやって下さい。ヨロシク オネガイ イタシマス