着物はっ水加工の歴史⑥(パールトーン加工)
「不知不来」いいものをお知らせしないのは罪
皆様 こんにちは パールトーンタイムスリップ第六弾は1983年です。
1983年(昭和58年)
いいものは、大切な家族に伝えるようにメッセージを送る・・・ 先代社長は心がほのぼのとする数々のコピーを生み出しました。
着物業界の広告は商品の付加価値や価格訴求の内容に偏りがちとはいえないでしょうか。広告は消費者に対するメッセージであり、発信する側の心があってこそ胸にひびくものと感じます。
先代社長の國松は昭和38年からこの仕事をはじめ、創業社長はそれから7年後の昭和44年に亡くなりましたが、創業者が残したものを広く伝えるため、思い切ってテレビや雑誌などのマス媒体を通してパールトーンの活動をPRしてきました。もちろん周囲の反対はありましたが、先行投資は必要だと判断したからです。
昭和58年には女優の岩井友見さんと、平成元年には同じく女優の原日出子さんと専属契約しテレビコマーシャルや雑誌広告などを積極的に展開しました。
また、平成3年JR京都駅の新幹線ホームにパールトーンのサインボードで安心きものをアピールすることをはじめたり、大阪梅田駅や東京有楽町のハイビジョンでCMを放映したり、街角の広告にも積極的に取り組んできました。
しかし、マス媒体の経費は大きく、しかもその効果は具体的には見えてこないもの。それでも継続して実施してきたのは、先代の「いいものをお知らせしないのは罪」というベースがあるからです。
中国に「不知不来」(フチフライ)という言葉があります。これはいくらいいものがあっても「知らなければ来ない」という意味です。いくらパールトーンの加工技術が良くてもお知らせしなくてはお客様は決して来ることはないのです。
先代はパールトーンきもの保険「安心どすえ」「心配きものから安心きものへ」「心配きものはタンスの肥し、安心きものは街の華」などをはじめ、数々のコピーを生み出してきました。
手作り感覚のコピーはパールトーンらしいメッセージであり、大切な家族へ伝える気持ちで制作しています。そして、いいものをいつまでも新鮮な表現で継続して発信することが大切とパールトーンは考えています。