着物はっ水加工の歴史③(パールトーン加工)
東京白木屋百貨店にてパールトーンの加工説明会を行う!
皆様こんにちは。パールトーンタイムスリップ第三弾は1960年です。
1960年(昭和35年)
百貨店や呉服屋さんにてその加工技術を実演すると評判になる、口伝えにジワジワとその効力は広がっていきました。
昭和16年、徳川本家のご宝物類に、昭和31年には柳川藩立花家秘蔵の甲冑衣裳に加工をするなど名誉な仕事をさせていただきました。
また、昭和28年には博多岩田屋及び玉屋呉服部とお取引を開始し、九州各地区の高級呉服専門店とのお取引も順調に広がっていきました。さらに、昭和33年には東京へ進出し、商売としても少しずつ軌道に乗りはじめていきます。
商売気などみじんもなく、ひたむきに研究開発を進める國松勇は、加工の技術はもちろん周囲の人からも自然な形で信頼を得たようです。パールトーンの技術は新聞や口伝てにジワジワと広まっていきました。
昭和35年7月9日の毎日新聞は「シミのできない繊維加工」という見出しでパールトーン加工の説明をしていますが、動物性繊維には100%の効果、布地が傷まず熱にも強いという利点を紹介すると同時に、気になる点は値段が少々高い点もしっかり打ち出されています。同年12月10日読売新聞ではパールトーン加工の説明と料金表がきちんと記されています。今のような宣伝方法がなかった当時、國松勇は利用者を前に実際に実演しながら説明しました。効果とともにその限界も含め正直に伝えたのです。だからこそ、信用を積み重ねることができたに違いありません。
昭和35年、東京白木屋百貨店(後の東急百貨店)にて加工説明会を開き、集まったたくさんのお客様に、國松勇は自ら精力的に誠実に説明をしました。そしてパールトーンに共感した小売店さまでも積極的に実演会を開催いたしました。その告知は新聞記事やチラシ広告にも大きく表記されていることから、当時どれだけ画期的な加工であったのかを物語るようです。