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おしらせ

着物はっ水加工の歴史②(パールトーン加工)

「京染めのめでし色柄このわざに 百年(ももとせ)の後に残りけるかな」 創業者の宝物になった一首でした。

皆様こんにちは。前回に引き続きパールトーンタイムスリップ 今回は1949年です。

1949年(昭和24年)
昭和24年 パールトーンの効力の素晴らしさに感銘を受けた武雄市初代市長の奥様が詠まれた歌はパールトーンの宝物になりました。

現在のようにパールトーンの知名度もその効果を広める情報手段もなかった昭和24年、お客様の紹介状として創業社長が持ち歩いていたサイン帳があります。
パールトーンの歴史を物語るものとして、今まで大切に保管されてきたものです。その中にこんな一首が記されています。

「京染の めでし色柄 このわざに 百年の後に 残りけるかな」

作者は、当時佐賀県武雄町(現在の武雄市)で、昭和天皇が佐賀県へ御幸の折り泊まられた程の由緒ある旅館、春慶屋を経営されておられた中野敏雄氏夫人の猪佐子さん。先代がある方の紹介で中野さんを訪ね、パールトーンの説明をしたところ、その効力に感銘されて即座に詠まれたのがこの歌で、大切にしている京染の着物がパールトーンの技によって百年の後まで残りますね、という意味です。
ちなみに中野敏雄氏はのちに政治の世界に進まれ、武雄市の初代市長を務められた方です。この時代にしてパールトーンが人に感動を与える効力があったことを証明する貴重な資料で、先代はいつもこのサイン帳を持ち歩いて口伝えにその素晴らしさをアピールしていったのです。

すでにこの歌が詠まれて60年以上の歳月が過ぎておりますが、今でもこのサイン帳は会社に大切に保管されています。この歌はパールトーンの原点であり、常に心の片隅に置いておきたい宝物です。
百年という月日が過ぎようとも、パールトーンをすれば着物の美しさは変わらないという創業者が残してくれたかけがえのない宝物を、私たちは常に研究開発を重ね、社員が一丸となって、より多くの人に伝え、安心して着物を楽しんでいただけるよう努力をしていく所存です。

※画像は創業社長が宝物のようにいつも持ち歩いていたサイン帳。パールトーン加工のご注文を頂いた先のリストが紹介状として当時の営業に活躍しました。その中にこの一首が詠まれています。

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